Angel Beats! 第十三話
奏がやったことがないのでやりたいというので最後に卒業式。
で、なんでこの5人しか居ないの?みんなで卒業式すればいいじゃない。ぶっちゃけ、尺の都合で全員の卒業を描写すると薄くなっちゃうからメインの5人に絞ったんだろうけど。
でも、証書授与とか歌とか全部流さずに省略進行すれば、どうにかなったんじゃないの?てか、いちいち全部見せられる方がたるい。
最大限好意的解釈すると、他の連中は最終決戦で消滅しちゃっていて、それをゆりに伝えると、また戦うとか言い出しかねないからみんな満足して卒業していったと言うことにしたとか?
ゆりと奏がいきなり仲良くなっているのも訳が分からない訳だが。
ここまでも十分茶番だったわけだが、邪魔者を全員排除した音無が奏と二人きりになった途端、二人でこの世界に残ろうと言い出した瞬間にはもう、あきれ果てるしか。
また、ゆり達のような者が現れないように導いていくって、それ建前だよね?音無本人は自覚してないのかも知れないけど。
他の連中は自己満足で卒業させておいて、いざ自分となったら…なんだこの偽善者は?
奏は音無の心臓を移植されていたらしい。この世界に来る順番は現世の時系列と無関係だから死んだ順番が前後しても問題ないと、好意的に解釈するとして。
二人が出会える確率ってどれほどだよ?
奏の心残りは音無に心臓をくれたお礼を言えなかったこと。そのためにずっと、この世界で音無を待ち続けていたと。理由は違えど、やってることはラスボスと一緒かよ。
その音無も本来はこの世界に来ることはなかったはずで、奏は永遠に卒業できなかったわけで。音無は奏を卒業させるために、あえて記憶を消されて送り込まれたとしか。
音無には心臓がなかった。だから「音無」ですか。臓器移植したら幽霊もその臓器がなくなるのか。そういう設定ってことで。
奏が最初に音無を刺したときに心臓がなかったから分かったとか、奏の中の自分の心臓の音で音無が記憶を取り戻したとかは、心臓の記憶ってことでいいけど。
奏が音無にお礼を言って卒業し、音無は絶叫。このままだと音無もラスボスと同じく、この世界に留まり続けて奏を待ちかねないよな。
Cパート見ると、奏の居ない世界に意味はないといった感じで成仏したみたいだが。で、二人が(以下略)。この二人が出会えるなら、日向とゆいも無事出会えているだろうと思うことにする。
ガルデモと岩沢は再会のための符丁だったということで。
・総評
何の予備知識もなくいきなり奏トゥルーエンドを見せられた印象。ゲームならば、このルートに入るにはいくつかの他のキャラエンドを見ている必要があって、そっちのルートで他キャラの掘り下げがあったのだろう。
その積み重ねがないために、脇キャラどころかメインキャラすら行動原理が把握できず、思いつきで突拍子もない行動をしているようにしか見えない。
脳内補完するにしたって、とっかかりとなる情報があまりにも少なく、補完ではなくねつ造になりかねないし。
小説やCDドラマ、コメンタリーで情報補完しているという向きもあるかも知れないが、それで「理解が深まる」ならともかく、それがないと「理解不能」ではアニメ単体では欠陥品と言わざるを得ない。
脳内補完することで「作品の世界観が広がる」のと、脳内補完しないと「世界観が破綻する」のでは大違い。そして、後者を制作者側が視聴者に期待するのは怠慢かと。
ゲームをアニメ化した際、尺の都合でカットされて情報不足というのは良くある話だが、この作品の場合、ゲームシナリオの文法でアニメシナリオを作ってしまったために、それが更に際立ってしまったと思える。
ゲームならば、自分のペースで文章を読み、時に反芻し、理解を深めながら進んでいくことが出来るが、アニメは理解するしないに関わらず自動で話が進んでしまうわけで。
ゲームだったら良作になっていたかもね。
とまぁ、散々アンチ発言をしてきたわけだが、それでもこれだけ語れる話題性のある作品は貴重ではあった。箸にも棒にもかからない語る気すら失せる作品と比べれば、その存在感は圧倒的であったと思うよ。
ストーリー:1
キャラクター性:2
画:4
演出:2
音楽:5
総合的な評価:1
総合点:15
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