RD 潜脳調査室 第十二話
生まれつき見えなかった目を義体化した少女・映海と出会ったミナモ。確かに義体化した目に映る光景は脳に届いては来ているが「見える」というものがどういう事なのか分からない。直接触れる方がそれをよく理解できる。目を瞑っていた方がうまく歩けると語る映海のことを理解しようと波留のオフィスで目隠しして歩いて見たものの…
後天的に見えなくなったのでなく、先天的な全盲の場合、本来視覚を司るはずの脳の領域は他の感覚に割り振られるらしい。そこに後から視覚情報を付与しても結局「視覚」と言う物に順応できず、自我を維持できなくなるというこの電脳化が進んだ世界でも未解決の問題もあるとか。
人間が外界から得る刺激の9割方が視覚情報だという話を聞くし、それが他の感覚にまわればそれは常人には決して到達してない境地に達する可能性もあるわけね。
逆にそんな膨大な情報をいきなり注ぎ込まれても処理しきれずに過負荷で落ちてむしろ当然と(--;
一方、波留は突如失踪したメタル芸術家の捜索の依頼を受けていたが、依頼そっちのけでその芸術家の作品に入り浸り、期日を先延ばしにして心ゆくまで堪能するという自堕落生活に。波留をここまで骨抜きにするその芸術が凄いのか、単に波留の自制心が低いのか(--;
父の薦めで、目を義体化した映海。全盲の娘を不憫に思い、その危険を知りつつも娘に視覚を与えられるなら、という親心は結局は娘のためにならなかったらしい。
失った物を取り戻すのならともかく、初めからなかった物を無理に付け足してもそれが幸せに直結するとは限らない。むしろ、それによって失ってしまう物もあると。
全盲だった代わりに地球律を「視て」それにインスピレーションを得てメタル芸術作品を作り上げていた映海。視力を捨てて再び芸術家として生きるか、視力を得て普通の女学生となって生きていくか、その選択の岐路に立った映海が選んだのは…
障害者だからと言ってそれが不幸なことであるとは限らない。それだからこそ得られる物もある。そして、それを補完することでなくなってしまう物もある。人と同じ事がすなわち幸せではない。人の幸せは人それぞれ。他人が良かれと思ったことが本人のためになるとは限らない。自分の幸せは本人の選択でこそ得られる。詰まるところそんな話かな。
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コメント
こんにちわ~。いつもお世話になっております、Todasoft Blogのささかまです。
このたび移転することになりましたのでお知らせに参りました。
新アドレス→http://www.todasoft.com/
これからもギアス等の記事でお世話になると思いますので、よろしくお願いいたします。
ではでは、失礼いたします。
投稿: ささかま | 2008/06/27 00:52
>ささかまさん
いつもお世話になっております。
移転の件了解しました。これからもよろしくお願いいたします♪
投稿: 藤ゆたか | 2008/06/27 23:16